月姫夜曲

 

 辺りは闇に包まれていた。

 音もない世界から遙か彼方を見下ろすと、人の世界の灯火か見える。

 誰もが眠りにつく時間というのが過去のものとなり、世界の覇者はその息吹を闇への抵抗のように灯し続けている。

 私はその儚い光をただ見つめていた。

 無人駅の電灯が私の居る世界を教えてくれる。その灯に淡く照らされたジャンバーにあたる風は涼しく、そして優しく私を包み込んでくれる。

 この駅はすこし高台にあり、私は荷物を抱えてベンチに腰掛け朝を待っている。

 空には美しい満月が私を見つめている。

「知ってる?月には魔法がかかっているの」

 だれからだっけ。この話を聞いたのは。

 頭のなかで私でない誰かが話しかけている。

「あの月にはお姫様が住んでいて、試練を乗り越えた王子の登場を待っているの。

 そして二人、あの月で幸せに暮らすのよ・・・」

 改めて私は満月を見上げる。

「月姫か」

 私は何気なく呟いた。

 何の物語だっただろうか。まぁ、私は王子ではないし、ただここにいるといった方が適当なのかもしれない。

 なぜ居るかという答えは私にも分からないが、多分旅立とうとしているのだろう。

 ジーンズの下からベンチの冷たい感触が伝わってくる。萎びた草が線路の回りに生え、初夏の風の音と温かい月の灯が私の舞台を構成していた。

 夜はまだ永い・・・

 

「ここ、開いていますか?」

 どれ程の時が経っただろうか。私の前にもう一人の私が居た。

 不思議なものだ。現実では無い事が分かっていても、それを受け入れる自分に何の違和感も見せずに途切れながちに淡々と私は呟く。

「夢が・・・見たくてね・・・夢というのは・・・」

 私の言葉をもう一人の私が続けた。

「自分の思い出として過去を封印することが出来るから」

 私は顔を上げてもう一人の私を見上げる。

 映っていた姿は少年時代の私だった。

「おにいちゃんは変わらないね」

 高い声で笑う彼に、私は微笑む。

「そうだな。大人になりたくなかった」

 いつもの私と違って、感情が淡々と現れる。

「いつまでも楽しい事を追いかけていたかったよ」

「あのころは、全てが面白かったよ」

 少年は月光に照らされたホームで輪を書くように走りだし、手入れがされていない花壇で草と戯れている。

 私はただ、それを眺める事しかできなかった。

「一緒に遊ばないのかい?」

 後ろからの声に振り向くと学生服を着た私がいた。

「遊ぶわけないだろう」

 当然の事だか、学生服の私もその続きを話しだす。

「子供には子供の、学生には学生の演技がある。

 私は子供の演技をするにはもう年をとりすぎたのだよ」

 シンクロした声を少しも気にする事無く、学生服を着た私は少しずれた眼鏡をかけなおす。

 そうだ。少しでも大人になりたいと思った。

 それで、いつも皆と一歩離れて行動したっけ。

 視線を少年の方に戻すが、月光に包まれたたんぽほが揺れているだけだった。  

「なあ」

「何だ」

「友達・・・少なかったな・・・」

 どちらが話しだしたのだろう。

 学生服の私はホームを飛び降り、線路を歩きだす。

「一度やってみたかったんだ。これ」

 彼がかがんで、私の視界から完全に姿を消した。

「こうやって遊べたなら、もっともっともーっとお友達が増えたのに」

 聞こえてくるのは少年の声に変わっていた。

 歌声が風のように夜のホームに流れてゆく。

 

 僕はあそびたいの

 学びたいの

 僕の歩調と一緒に

 

 教わりたくない

 みんなの速さはきらい

 一人がいいの 

 そうすれば

 僕は僕を知る事ができるから

 

 線路に近づいても人影は見つけられなかった。

 私は改めてベンチに座りなおした。

 夢か、幻か、それとも・・・

 その答えが出てくるはずが無い事を自覚しつつ、私は答えを探していた。

 

「うらやましいのう」

 どうやら、この脚本を書いた奴は役者の登場を突然にと決めているらしい。

「どうしました、お祖父さん」

 先にいっておくが、私はこの老人を知らない。

 シルクハットの下に髭を生やし、外套を羽織り、杖を持つ姿は季節外れの西洋仙人と言った所か。

「いま、季節はいつでしたっけ?」

 私の質問の解答に杖でホームを軽くつついた。

 風景が一変したのに気づいたのは老人の行動から数瞬たった後だった。

 辺り一面まっ白け。ホームも白く染められている。

 夜のホームには私の足跡が電灯に照らされている。

 空から降って来る何かに気づかなかったら、私はもう暫く呆然としていただろう。

 これは・・・雪?

 こちらの混乱を明らかに楽しみつつ、老人は独り言を呟く。

「答えを見つけ出せるだけの時間がある。

 その若さをうらやましいといっているのじゃよ」

 老人は楽しそうに笑う。

「美しい景色じゃのう」

 私は口をはさむ余裕など無かった。

「雪は全てを隠してくれる。たとえ、一時的だとしてものう」

 老人は一面の銀世界をとても楽しそうに眺めている。

 そうか。

 私は何かを理解した。

「だけど、春は来てしまう。

 どんなに美しくても、全てをさらけ出さないといけない」

 老人は私の答えに満足したらしい。

「永遠に止まる時など存在しないのじゃよ。

 それを望むのかね?」

 老人の問いに私は立ち上がり、雪を踏みしめながら言葉を紡ぐ。 

 

 雪よ

 降りつづけておくれ

 凍りつかせておくれ

 私の幸せと共に

 この永遠を望めるのならば

 私は未来などいらない

 

「どの道を行くも自由じゃな。おまえさんの人生だからのう」

 老人は笑った。どうやら正解だったらしい。 

 老人は後ろを向いて立ち去ろうとする。

 

 楽しかったのだろうな

 私の人生は

 人が認めずともな

 幻のなかに全て消えるのならば

 その評価は

 私だけで十分だろう

 

 景色はもとに戻っていた。辺りを見回すと、人の世界の灯火か見える。

 私はその儚い光をただ見つめていた。

 無人駅の電灯を見ていると老人そのものが幻のような気がする。

 ジャンバーにあたる風は涼しく、そして優しく私を包み込んでくれる。

 私は改めてベンチに座りなおした。

 ジーンズの下からベンチの冷たい感触が伝わってくる。

 萎びた草が線路の回りに生え、踊るように揺れている。

 私は顔を上げ、月に向かって語りかける。

 

 風よ歌っておくれ

 星よ踊っておくれ

 舞踏会はまだ続いている

 お姫様は満足していないらしい

 私はあなたを知っている

 だから物語を紡ぎつづける

 彼女を満足させるために

 力をかしておくれ 

 夜はまだ永いのだから

 時の流れはまだ緩やかだから

 

 どのぐらい時間が経ったのだろう。

 靴音の響きが私の時間をまた、動かしはじめた。

 不思議なものだ。

 見てもいないのに、誰だか分かる。

「いらっしゃい」

「いらっしゃいました。

 と、いうことは私の正体ばれていますね」

「ああ」

 私は立ち上がり、彼女の方に向きなおす。

「で、試練を乗り越えた私に何を見せてくれるのかな?君は?」

 彼女も私と同じ顔、姿をしていた。

 髪はロング。 白いブラウスに草原色のスカート、黄色いリボンを巻いた麦わら帽子を手に持ち、子供っぽい視線で私を見つめている。

「楽しかったですか?」

 多少上目使いに彼女が尋ねる。

「ああ。楽しかったよ。

 で、聞きたいのだけど」

 彼女に私が問いなおす。

「名前、教えてくれないかな?」

「誘っているのですか?私を」

「そう」

 彼女は笑いながら答えを教えてくれた。

「瑠奈」

「瑠奈か。ぴったりだね」

 今度は私が魔法を披露する番だ。

 私は立ち上がり口笛を吹いた。

 音が闇に吸い込まれると闇に優しい灯が生まれる。

 灯が飛び立つと音が生まれ、音が更に灯を生み出す。

 私はやっと分かった。

 ここは私が望んだ世界という事を。何から旅立ちたかったかを。

 自分自身への別れ。大人になるという通過点への抵抗。

 あたりは優しい音が包み、淡い灯が風と共に踊っている。

「すごい!すごい!」

 瑠奈はこの光景を喜んでくれた。

 そろそろ種明かしをしようか。

「私の思い出の風景だよ」

 辺り一面に乱舞する蛍の群れは、私と瑠奈を歓迎するかのように踊っていた。

「知ってるかい?蛍の儚さを?」

 彼女は小さく首を横にふった。

「昔から人は、蛍にかなわぬ願いを託して思いを封印していったのだよ。

 だから蛍が多く見える人は、それだけ多くの思いを封印した人なのさ」

 少しだけ瑠奈の表情が暗くなる。

「あなたにも、これだけの思いがあったのね」

「ああ。見たのだろう。

 私の世界を」

「そうね。

 だけど、あなた、一つ間違っていたわ」

「間違っている?」

 彼女自身が淡く光りだした。

「私はいつまで待っていればいいの!」

 瑠奈の声は大きかった。

 驚いた私を見て、元の音量に戻る瑠奈。

「幸せにはなりたい。

 だけど、一人はもうたくさんなの」

 そういって口を閉ざす瑠奈は切なそうな、痛そうな表情を私に見せていた。

 瑠奈自身も私の思いなのか?

 ここまで大きく、そして痛い記憶は何なのだろう?

「やっぱり、覚えていないのね」

 瑠奈の言葉に私は何も返せなかった。

 静寂が淡い光と共にその場を支配した。二人とも動かない。いや、動けない。

 瑠奈は私の答えを待っている。私は瑠奈の答えを待っている。

 知っているはずなのに。大切にしていたはずなのに。

 どうして言葉が出ないのだろう。

 どうして悲しめないのだろう。

 ほんの一瞬なのか、それともかなり長い時間が流れたのか分からない。

 静かに瑠奈が呟く。

 歌?

 私は瑠奈の歌声に身を委ねる。

 

 私は寂しかった

 私だけ一人だったから

 私はただ歌いたかったのに

 踊りたかったのに

 誰も私に振り向いてくれない

 

 ああ。そうか。

 私が封印し、忘れてしまうまで隠し続けていた思いの正体が。

「だから、私を呼んだ。」

 彼女の歌声が止まった。

 少しだけ時が止まった。

「そう。私と同じあなたを」

 急に大人びた彼女は背を向け、光の光景の方に目を向ける。

「可能性・・・

  それが君の本当の姿だね」

 瑠奈は私を見ずに月に向かって語りかけていた。

「永い間、私はあなた達を見ていた。

 愚かで強くて悲しくて、そして優しい人間を。

 知ってる?月には魔法があるという事を」

「その魔法にかけられた者は、約束の地へと旅立つ。

 それを勇気というか狂気というかは私にも分からない。

 だけど、闇を照らす貴方は希望でもあった」

「あなたは私と同じ。ずっと独りぼっちだったから。

 永い時間も、二人なら苦しくはないから」

「で、私が選ばれた」

 私が答えると、瑠奈は私の方に振り返る。

「あなたはどうするの」 

 答えようとした時、風が鳴いた。

 瑠奈の持っていた帽子が流されて、私の足元に落ちる。

 帽子を拾って私は呟いた。

「答えを知っているのだろう。君は」

 ゆっくりと帽子を瑠奈に差し出す。

「さぁ・・・」

 そう言った彼女の笑顔は、本当に美しかった。

 神々の威厳は無く、一人の少女の笑顔は。

 

 山の稜線が見えだした。

 日の出が近づいている証拠だ。

 もうすぐ、始発が出る。

「行くの?」

「ああ、瑠奈こそいいのかい?」

「朝日を見るのは好きなの」

「困ったお姫様だ」

 私は笑った。

 空が明るくなってゆき、線路から列車の音が聞こえる。

 瑠奈が私に抱きつく。

「何故行ってしまうの?」

「好きだから、かな。

 それに、目的が出来たし」

「目的?」

「君に多くの物語を伝えるために。

 また、会いに行くよ」

「うん」

 私は瑠奈の笑顔が忘れられそうになかった。

 儚いけど、希望を信じている笑顔を。

 灯が消えても辺りが見える明るさになった。

 遠くから汽笛の音がする。

 瑠奈は私から離れる時を同じにして、列車がホームに滑り込んでくる。

 私は、列車に乗り込む。

「さよなら」

 瑠奈が閉まった扉の前で手を振る。

「さよなら」 

 私も手を振る。

 動きだした列車の窓からはもう瑠奈の姿は見えなかった。

「さよなら。月姫」

 私は瑠奈の本当の名を呟いた。

 始発だけあって、客は私一人しかいない。

 朝日を見ながら、私は歌った。

 

 旅に出よう

 どこか知らない世界へ

 旅に出よう

 誰も知らない明日へ

 さよならはいわない

 会えるのを知っているから

 その時は

 一匹の蛍を彼女に渡そう

 満月にも負けない

 彼女への思いを