大安売りの奇跡

第三話

 (前書き)

 奇跡により元気になった美坂栞だが、その奇跡は栞だけでなく祐一に関わる全員に奇跡が起きていた。

 その結果、激烈な祐一の奪い合いという喜劇が待ち受けていた。

 料理はおいしいのにその環境からおいしく食べれない祐一、祐一に卵焼きを食べられてつっこむ香里・・・

 そして、北川は佐祐理のお弁当を堪能していた・・・

 

 

「話があるんだ」

 放課後祐一に誘われた香里はいつものつんけんとした表情で祐一を見つめていたが、

「いいわよ」

 と香里が言った瞬間に北川が立ち上がり祐一に詰め寄った。

「おまえには名雪もあゆちゃんも栞ちゃんも倉田・川澄の両先輩もいるのに、何故俺の香里を取るんだぁ!!」

「・・・・・・いつからあなたのものになったの?」

 香里のつっこみにょってあっさりと沈黙する北川。

「相沢君。行きましょう」

「ああ・・・」

 哀れにも固まっている北川にかける言葉を祐一は持っていなかった。

 

 学校を出て公園に着た二人はしばらく話さずに黙っていたが、香里の方から切り出してきた。

「で、話って何なの?」

「そうだな・・・まずは・・・」

 と、いきなり祐一は後ろの物陰に隠れていたあゆと名雪を引っぱり出す。

「うぐぅ・・・」

「ええっとぉ・・・」

「何をしているのか説明して欲しいな?」

 にこやかに微笑みながら目が笑っていない祐一に詰め寄られて二人はすこすこと退散して行く。

「さてと・・・これで話が・・・」

「できるというの?相沢君?」

 と、香里が指した先には変装している舞と佐祐理がいた。

 変装だろうと思われる眼鏡がとても浮いている。

「あはは〜私達は何も関係ない通行人その一ですぅ〜」

「その二」

 声を絞り出して祐一は二人の説得にかかった。

「お願いだから邪魔しないでもらいますか・・・」

「はぁい。いこうか。舞」

 多分軽い気持ちだったのだろう。二人は素直に頷いてこの場を去っていった祐一だが、

「あら?祐一さん」

「祐一。こんなとこでなにしているの?」

 買い物の帰りだろう。今度は真琴と秋子さんに見つけられる。

 がっくりとうなだれる祐一だがここでめげたら彼女に頼まれたことができなくなる。

「秋子さん。お願いですから真琴を連れて帰ってくれませんか?」

 祐一の懇願に何か感じたのだろう。

「じゃあ、夕食までは帰ってきて下さいね。行きましょう。真琴」

「あう〜帰ったらおぼえてらっしゃい!」

 といって二人を見送りながら、今度こそ二人きりになったところで祐一がゆっくりと切り出す。

「思ったんだが、香里とは二人で話したことはあまりなかったな」

「そうね。一回だけかしら。二人で話したのは」

 抑揚のない声で香里は答える。

 前に祐一と香里が話した一回――夜の学校で香里が初めて栞のために泣いた日――あの時の光景を二人とも頭にフィードバックしてしまう。

 今は夕方、まだ人気のある公園、今回呼び出したのは祐一という違いはあるが、思い出してしまった二人はあの夜の出来事を鮮明に思い出す。

 あの夜に祐一に泣きついた香里。

 泣かれた香里に何もできなかった祐一。

 そして二人が思い、そして諦めざるを得なかった栞の病気の事。

 気まずい雰囲気を振り払って祐一が本題に入る。

「あのな、ここ最近の彼女達の様子なんだがな・・・おかしいと思わないか?」

「おかしいというと?」

 香里に先を促されて、言葉を選びながらも祐一は先へ進める。

「うまく話せないんだが、みんな急いでいるような気がしてな」

「急いでいる?」

「ああ。よく物語なんかであるじゃないか。『そして二人は幸せに暮らしました』ってな」

「相沢君は今の常態が幸せだと?」

「香里・・・お願いだからその先を俺に言わせないでくれ・・・」

「そうね」

 不意に漏らした香里の苦笑に祐一もつられて笑う。

「たしかに、あの冬の日々にくらべれば幸せなのかもしれないな・・・」

 ぽつりと呟く祐一の言葉には「命」という重さがあった。

「けどな、そんなことがあったからなんだろうな。何かみんなが急いで幸せになろうとしているんじゃないかって思うんだ」

「それが、今の相沢君をとりまく環境と?」

「うん」

 ただ祐一は頷いた。

 そして時間が止まる。

 祐一は安堵の表情で、香里は当惑の表情でお互いを見つめる。

 妙に噴水の音が耳に響く。

「相沢君。最後に一つだけ聞かせて。何故、私なの?」

 香里の言葉に祐一はすくには答えられなれなかった。

 その態度がじれったくて改めて香里は少しだけ語気を強めて祐一に問いただす。

「何故、私に貴方の悩みをうちあけたの?」

 祐一は香里から視線を逸らし、噴水の方を見つめながらできるだけ感情を殺した声で答える。

「以前、香里が俺に感情をぶつけて泣いてきたじゃないか。

 それと同じ事をしたかったのかもな」

 香里の胸が締め付けられる。そんな香里の変化を祐一は気付けない。

「俺が雪と共に三時間ほど待たされて名雪と再開してからいろいろな奇跡を見てきたよ。

 瀕死の母を思い、一度は心を閉ざそうとした女の子。

 天使に助けを求めて、奇跡を探し続けていた女の子。

 過去の約束に縛られ、十年間も笑えなかった女の子。

 ものみの丘に住んでいたのに人の温かさが忘れられなかった女の子。

 そして、不死の病にかかり、全てを諦めてわずかな幸せを求めた女の子・・・」

(最後の子は栞のこと?じゃあ・・・今の女の子達は・・・)

 香里の当惑も噴水を見て話している祐一には見えていない。

「・・・まるで奇跡の大安売りだな。

 最近、奇跡と言う言葉が安っぽく思えてきたよ」

「説明になっていないわよ。相沢君」

 苛立ちすら含んだ香里の声に香里自身が驚いてうつむく。

「何がいいたいのよ・・・」

「最近になって気付いたんだ。これだけ奇跡が出ているのにちっとも変わっていない女の子がいるって。

 妹の幸せを祈って、自分の幸せを見失った女の子がね」

 夕焼けに照らされてまた二人の時間が止まる。

 香里は祐一が何を言っているのか理解したくなかった。

「・・・奇跡なんて・・・本当はそんなに安っぽくないものよ・・・」

 香里は必死になって答えを返す。

 夕日に照らされた祐一の影が妙に大きく見える。

「おそらく、俺も変わったんだろうな。けっこう今の生活は気に入っているよ。

 香里もかわってみたらどうだい?」

 それだけ言って祐一は去っていった。

 祐一の真意はは分からないまま、香里は祐一が立ち去った後でもそのまま噴水の方を見つめる。

 自分の胸が苦しくて、切なくて、そして悲しいのが香里には分かりたくなかった。

「風邪引きますよ。お姉ちゃん」

 いつから居たのだろうか。香里の後ろに栞がいた。

 だが、香里は振り向くことができない。

「実をいうとね、私から祐一さんに頼んだんです。

『お姉ちゃんにも奇跡を与えて欲しい』って」

「私は・・・奇跡なんか・・・欲しくないわよ・・・」

 絞り出すように香里が呟くがその声は乱れていた。

「私はお姉ちゃんと一緒にいたから、知ってたんだよ。

 お姉ちゃんが何を見て、何を望んでいたかって。

 ちなみに、祐一さんは北川さんだと勘違いしているみたいですがね」

 楽しそうに笑っている栞の声も香里には届いていない。

「栞、貴方何を言っているか分かっているの?」

 その質問が栞の予想の肯定に繋がっているなんて今の香里には分かるはずもなかった。

「祐一さんは今でも好きだよ。

 だけどね、私が一番好きなのはお姉ちゃんなんだよ」

 その言葉に香里が凍り付く。

 後ろから語りかけている栞にはそんな香里の姿が見えない。

「祐一さんが誰を好きなのかは私にもわかりません。

 だから、私のためにお姉ちゃんが苦しまなくていいんだからね」

 香里は振り向かなかった。

 泣いているのを栞に見られたくなかったから。

 栞も香里の気持ちが落ち着くまで待ち続けた。

 

 

 そして、いつもと変わらない朝が始まる。

「遅いぞ!名雪!」

「だってぇ、いちごジャムおいしいんだもん!」

 そんな光景をいつものように美坂姉妹は眺めている。

「本当にいいの?栞?」

 まだ、香里はためらっていた。

「いいんですよ。奇跡は起きないものじゃないんですから」

「知らないわよ。貴方の相沢君を奪っても」

「大丈夫です。負けませんから」

「いったな」

 香里が笑い、栞もつられて笑い、そして二人も大安売りの奇跡に参加して行く。

 

 

「何故あいつだけがもてるんだぁ!!」

 北川は最後まで誰にも相手をされなかった。

 

 

 起きないから人は奇跡と呼ぶ。

 起きたから人は陳腐と呼ぶ。

 人はこの二つを繰り返して日常を作る。

 大安売りの奇跡が大安売りの陳腐に変わり日常となるのもそう遠くない話のこと。

 そのとき、誰が彼の隣にいるかは彼女達の努力次第。

 

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